自然生態系農業暦(1981年・・昭和56年から現在に至る) |
・温州みかん・八朔・イヨカン ・レモン・キヨミ・柚子
・キンカン・甘夏みかん・デコポン・グリーンオレンジ
・安政柑・ネーブル・夏みかん・菊芋
・ハーブ類 |

-村上農園 創始者-
村上 君(むらかみ きみ)2015年8月3日急逝 享年89歳
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村上農園創始者 村上 君 2015年8月3日 農作業中、乾燥した柑橘園内の傾斜で滑落し、脳挫傷で亡くなりました。(享年89歳)不慮の事故とは言え、愛してやまない柑橘園にて、手塩にかけつつの最後、母も本望だったと思っております。
母は、柑橘の枝を剪定する際も、「痛いねぇ、ごめんよ」と木に語りかけながら切っていました。 そんな母の思いが伝わるのか、美味しい柑橘が実り、毎年お客様から嬉しいお便りが届けられます。 そうしたお便りを母に見てもらうと、「うれしいねぇ、ありがとうねぇ」と、涙ぐみ喜んでいました。
大らかなやさしい人柄で、日本の母を絵に描いたような人でした。いつ訪ねても笑顔で迎えてくれ、自分も農作業で疲れているにも関わらず、よく肩をもみほぐしてくれていました。節くれだった力強いあたたかい手に、何度癒され元気をもらったことでしょう。心根が美しく、働き者で、父(2000年永眠)の大工仕事を手伝いながら、畑仕事をこなし、5人の子どもを育て、16人の孫と6人のひ孫にも恵まれ、村上農園を守り切っての最後でありました。
母亡き後、母の意思を継ぎ、安心安全な農作物の生産に精進することが、母に対する供養と思い、より良い物づくりに、今まで以上励んでまいりたいと思っています。
ここに改めて、ご利用いただいておりますお客様に、亡き母に代わりまして、心より御礼を申し上げます。
母亡き後も、変わらぬご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
2015年9月20日 村上農園代表 葛谷 仁美
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『 村上農園』は小規模の個人農園です。 |
栽培数(極早生みかん2本、早生温州みかん4本、中早生みかん23本、晩生みかん2本、ネーブル9本、伊予柑2本、キヨミオレンジ1本、八朔14本、夏みかん5本、甘夏みかん5本、スウィートスプリング1本、レモン5本、アンセイカン5本、橙5本、スダチ2本、柚子3本、キンカン4本)2010年より苗木の植樹を始めましたが、育っているのは宮川早生2本、青島温州2本、極早生温州2本、レモン1本、アボガド(ベーコン)1本寒波で枯れました。オリーブ寒波で枯れました。みかんも無肥料栽培下では退化し育ちませんでした。ポポー5本。野菜栽培にも挑戦中です(ヤーコン、黒トウモロコシ、菊芋、サラダキュウリ、里芋など)
村上農園のスタッフは、創始者(2015/8/3逝去)の長女(葛谷 仁美)、妹が2020年8月頃まで出来る範囲で参加してくれていましたが、柔軟剤等使用する生活であること、使用を中止することは考えていないこともあり、化学物質過敏症のお客様に送る時に移り香等が問題となるため、手伝ってもらうことが出来なくなりました。2018年には栽培規模も縮小し、一人作業が主となっていますが、忙しい時には家族や同級生、友達が島内や本土から応援に来てくれることがあります。
おばあちゃんのみかん園を手伝い始めたのは2000年11月(平成12年)からです。ネット販売を始めたのは2004年からです。
ネット販売を始めた翌年から、お客様が年々増加し、販売開始2年後より2週間ほどで完売、追加注文にも応じられず、家族や親戚に送ることもできない状況が続き、栽培本数を増やすため、2008年から雑木林になっていた農地を開拓、植樹を開始。雑木、雑草、竹等の根が地中に張りめぐっている圃場を開墾し、数年かかって100本ほど植樹を試みましたが、温州みかん、ポンカン、タンカンなどほとんどが育たず、数本の苗木がやっと実を付けるまでに育ってはいますが、無肥料での栽培では木が大きく育ちません。しかしながら、育った実は数か月間おいていても腐ることがありません。
大きく育つことが良いのではなく、力のある実が育つことが大事なことなのだと実感できました。嗜好品としてたくさんのみかんを食べるという習慣よりも、お薬のように摂取できる力のある実が育ってくれれば良いのだろうと思うようになりました。
2016年には、自然栽培農家4軒の柑橘を取り扱うようになりました。
栽培、ネット販売(受注・出荷)、ホームページ作成等、主な仕事は、創始者(2015/8/3逝去)の長女(葛谷仁美)が担当しています。長女(管理人)は自営業(製造業)の事務職が本業でしたが、2020年には、定年退職、年齢と向き合いながら終活に向けて圃場を森に還していく方向で木々の植樹準備を進めています。
2021年4月から7月迄、空き家となっていた築48年村上農園(実家)の改装工事を始め、2022年5月から再開。駐車場解体、母屋の外部及び1階内装を全面的に進めています。土壁塗りや石庭の剪定作業等できる範囲でDIY。
昨年から自宅裏庭の整備も進めていて、実家の改装工事と同時進行中です。 |
★みかんの花咲く季節、因島は柑橘の香りで満ちています★
そんな島の便りをお届けできればと思っています。 |
生産地(尾道市因島)
お問合せ先
〒722-2211広島県尾道市因島中庄町4142-5
事務所 0845-24-0465(葛谷仁美)携帯 090-1185-1466
作業で出ていることが多く事務所には夜8時以降までほとんどいません。
お急ぎのご連絡は携帯 090-1185-1466までお願いいたします。
Mail: |
※村上農園の柑橘は自然な味わいです。
皮も捨てることなく、料理・入浴剤としてお使いいただけます。 |
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自然栽培への取り組み - 母から娘へ |
〒722-2211
広島県尾道市因島中庄町4142-5
村上農園 葛谷仁美(くずたに ひとみ)
Tel 0845-24-0465
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★おばあちゃんの自然栽培
母(2015年8月急逝)の栽培方法は、剪定はほとんどしない、肥料は、菜種油粕、自家製の堆肥、2年に一度苦土石灰を撒くというシンプルなやり方でした。
収穫は、11月中には終え、1週間から半月ほど風に当てた後、みかん小屋に寝かせておきます。
収穫したときには、まだ青みが残っていたみかんも、12月半ば過ぎるころには、きれいに色づき、糖度も増し、濃くのある美味しいみかんになります。
母は、早生温州は、11月中に収穫することで、木が早く回復し翌年もたわわに実をつけるのだと教えてくれました。
母は枝を切るとき、木に手を当て、「痛いねぇ、ごめんよ....」と木に語りかけながら切っていました。
自営業の事務職、主婦、パソコン指導、地域の役員など、それだけでもハードな中、作業の能率の悪さに苛立ちを覚えた私は、「木が痛いわけないじゃろう!邪魔な枝は切ったほうが良いに決まっとるが!」、心の中では母の優しさに心を打たれていたのですが、そのときは素直に「優しいね」と言ってあげることができませんでした。
木と木の間は隙間がなく、腰を低くかがめながらくぐり抜けないとコンテナを運べませんでした。その体制では、身体が持たないと思った私は、収穫しながら作業の邪魔になる枝をバサバサと切り落としていったのです。
剪定に関する知識を持たないまま、剪定をしてはいけない時期に、それも枝の途中から切り落としてしまったのです。
母は、そんな私を見て、「あんまり切ると、木が弱るよ。」と一言だけ忠告した後、ため息をつき何も言わなくなりました。
翌春、青々と茂った2m.を越す大きな立派なみかんの木を、私は1週間も経たないうちに、30%~50%、木によっては70%も切ってしまったのです。その年は、実も少なく、収穫はずいぶん楽でした。園内を楽に移動できるようになったことで、これでいいのだ!と自慢げに思っていました。
しかし、その後、みかんの木は幾本も枯れていったのです。
その様子をみて、全滅するのではないかと、いても立ってもいられないほどの不安がこみ上げてきました。
せん定方法を勉強しないと、まともな栽培は出来ないと思い、インターネットで検索しているうち、川田建次(道法正徳)さんの「高糖度連産のミカンつくり」という本を探し当てることができました。(2006年)
★娘の自然栽培(自然栽培というより、自然生態系栽培といったほうが正しいのかもしれません)
2000年から2002年は収穫、出荷作業の手伝いが主でした。
2003年、ナギナタガヤでの草生栽培を始め、有機肥料も堆肥と油粕だけの栽培から、EMボカシ、鶏糞、牛糞なども使うようになりました。
しかし、思ったような結果はでませんでした。
2004年~2005年にかけて、上に記していますが強剪定をし樹を傷めてしまいました。
2006年春、切上げ剪定を行うべく、本を片手に木を見て、また本を見て、何度読んでも写真をみても、どの枝のことかわからなくて、それでも、とにかく切上げていこうと枝先部分の枝の分れ目元部から切り上げていきました。
こんな感じに下向きの枝は切除していきました。
同年、有機肥料も柑橘栽培を長く手がけておられる肥料屋さんに詳しく教えていただき、貝化石とフミゾール(主成分木の化石)を撒いて土壌改良をし、日にちを置いて、EMボカシ、ニシン雑費、魚粉、焼成骨粉、油粕等を撒きました。
その年、みかんの出来は今までのものより、糖度も高く美味しいものが収穫でき、 おばあちゃんも「おいしいねぇ、肥料がえかったんじゃろうか!?」と喜んでくれました。
私も切り上げ剪定と有機肥料の相乗効果だと思っていました。
2007年、この年は乾燥がきつく、日中の気温も36度と異常に高く、暑さ負けし摘果作業を日延ばし、豊作の上に摘果が遅れたため、上段のみかんの木が更に弱り葉が変色し始めたので、急ぎ実を全て摘み落としましたが、幾本も枯らしてしまいました。
この年は、日焼けし黒くなった実が多く出来ました。私はこのような半端物を試食するのが大好きです。∑(=゚ω゚=;) ゙!?
食べてみて、日焼けみかんの尋常ではないくらいの美味しさに大感激o(〃^▽^〃)o
黒く焼けたミカンを売ることはできないので、正直、この美味しさを届けられないのは残念だなぁと思いました。
栽培を始めて何年にもなりますが、日焼けしたミカンが出来たのはこの年だけでした。枝にも日焼けによる後遺症(樹皮がめくれ痛々しい)が残っています。強せん定で葉が少なくなったことが原因かと思うと胸が傷みます。
2008年、栽培方法は昨年と同じ、裏年で収穫量は少なかったものの、時期を逃さず摘果も行いました。いつもの年よりも傷の少ない品質の良いみかんが多かったので、収穫量は少なかったのですが、収益にはそれほど影響は出ませんでした。ただ、新規にご注文くださったお客様はもちろん、毎年楽しみに待っていてくださるお客様や、アレルギーでお困りのお客様に充分お届けできなかったことが残念でなりませんでした。
2009年5月、道法正徳さん(ペンネーム 川田建次さん)に直接指導していただく機会に恵まれ、植物は肥料で育つのではなく植物ホルモンで育つというお話を聞いて強い衝撃をうけました。お話を聞きながら、何故?何故??まさか!?栽培年数も浅い私の知識では理解できないことだらけです。
有機肥料を施肥してきた状態でも、無肥料栽培がすんなりと出来るのか大きな不安はありますが、試してみることにしました。無肥料栽培は正当な理論ではないかと感銘したからです。環境に良いということも理由の一つです。植物の力を生かした栽培とは・・・・
そこで、栽培方法を、何通りかで試してみることにしました。
1.切上げ剪定と酵素の葉面散布
2.切上げ剪定と草生による無肥料栽培(酵素の葉面散布をしない)
2009年5月20日、以前強剪定して樹を傷めたことを、これまで一度も母に謝ったことはありませんでしたが、この日は素直に言い出すことが出来ました。「可哀想なことをしたわ....もっとちゃんと勉強してから切りゃぁよかった...悪いことをしてしもうたね.....」
母は、怒りもせず、責めもせず、笑みを浮かべ「ええ勉強をした思うたらええが。」と言ってくれたのでした。
そんなに優しく言われると、余計に辛いよ(o´_`o)・・・。
母は気孔を行っているので、木に手をかざしよく言葉かけをしていました。私は、木に言葉をかけることが照れくさいのと、することをきちんとすることこそが答えだという考え方を持っていたので、木に言葉をかけてあげたい気持ちはありましたが、特にそのことを重要視してはいませんでした。(実際にはすることをきちんとしていたとはいえず手抜きがありました)正直に白状します.....(´ヘ`;).....
長崎県のたらみ(株)の桑山さん(CFO)から、「みかんの木に話しかけることは、熊本の農家さんもおっしゃってました。奇跡のリンゴの木村さんも、話しかけなかったリンゴの木だけが枯れてしまった、と書いてありました。愛情は、植物にも伝わるものなのかと嬉しく思いました。」というお便りを頂き、勇気を出して思っていることを木に向かって言ってあげる努力をしています。
昨日も今日も(2009/05/21~05/22)「元気になってね」と一言だけですが声をかけてあげました。(*^-^*)> ぽりぽり てれてれ・・>木とお話できたらいいのにね。
★柑橘の自然栽培について思う
「出雲地」のみかん園の周囲の雑木林は以前は柑橘畑でした。雑木や竹を伐採していて、辛うじて生きているというような状態の八朔樹を数本見つけました。日陰でも数個の小さな実を生らしていました。
植物は、過酷な環境の中でも、いろいろと智恵をだして適応して行こうとしているのでしょう。
30年以上も雑木林の中で枯れずに生き延びてきた木をみて「がんばりやさん」だなぁと思いました。
もっと日当たりを良くしてあげたら、傷んだ幹も少しは回復するのかなと思いました。
人が作った柑橘の木は、どこまで自然に近い栽培が可能なのでしょう。
それぞれの木の持つ特性もあるのだろうと思いますが、暫くこの木を観察してみようかと思っています。
何故?何故??と思うことがいっぱいあります。
特に、川田建次さん(道法正徳さん)の植物ホルモンのお話は、とても興味深く、もっと良く理解しておく必要があるなと感じています。
今日(2009/05/24)は雨が降ったり止んだりで、作業は出来ないので、植物ホルモンのことをお勉強してみようと思います。
せっかちな私は、良く理解せず思い立ったら行動するというパターンで失敗が多い!.......この年で遠回りはもうきつい.....慎重に急がねば A´ε`;)゚・゚
2011/2/18 今日は私の誕生日です。夫が亡くなって57日、夫はお酒と煙草が大好きで、畳職人として仕事一筋に生きてきた人でした。 |
2012/2/6 植物ホルモンの働きについて、実践の中で木の様子を観察していると、だんだんと?部分が見えてきました。面白いなぁと思えるようになってきた今日この頃、木と会話と言えば、うそになるかもしれませんが、木を見て木の気持ちが何となく伝わってくる。そんな思いで取り組めるようになりました。 |
※ホームページ上の文章の中の「出雲地」ゆずもんじとは尾道市因島中庄町のみかん園のことです。「むこうの畑」は因島中庄町権現区吉畑の八朔園。「せどの畑」は因島中庄町権現区の甘夏みかん園で、レモン、アンセイカン、スウィートスプリング、ネーブル、イヨカンなども数本あります。因島三庄町3区の八朔園(2017年返却)には紅八朔、従来品種の八朔約40本、ネーブル、早生温州みかん、レモン、スダチ、柚子、夏みかんなど数本ずつ、因島三庄町千守(2014年秋から3年)にはレモン、アンセイカン、キヨミ、八朔・紅八朔、甘夏みかん、温州みかん(早生・晩生)、ネーブル、柚子など、因島田熊町(2017年返却)には、デコポン、ポンカン、文旦、ネーブル、イシジ、柚子、八朔・紅八朔、極早生みかん、ハルミなど、2014年秋から2015年初夏にかけて栽培地が2か所増えたため、品種も増えました。因島田熊町の圃場に関しては、圃場のあり方が条件的に自然栽培に不向きな状況にあるため、1年様子を見て、栽培を中止することも検討中(2年栽培後返却)、、、 |
2017/3/15 因島田熊町の圃場は、持ち主さんの希望で返却。若いスタッフが都合で辞めたため因島三庄町海辺の圃場、明徳寺上の圃場も手をかけられなくなり退却。300坪余りある橙畑と因島中庄町出雲地の耕作放棄園500㎡の開拓中。2017/11/11~12大地の再生講座開催、土砂流れ部分を水脈整備中。第1回から第2回への開催に向けて調整中。
2018年1月 大寒波により晩柑類全滅。11月末、疲労により左耳蝸牛にリンパ液が滞り低音障害となる。検査は受けず、針治療を2か月にわたり続けましたが変化なし。2018年1月より漢方とステロイドの両立治療により右耳にまで障害が及ぶ。漢方薬を続けるも変化なし。知人の紹介で中国針治療、漢方を学びながら体調管理を続けていますが、築45年の古い建物のリノベ―ション、屋根の塗装工事によって雨漏りがひどくなるなど問題が起こり屋根替え工事、豪雨災害と2018年は怒涛の1年となり、精神的・肉体的にも衰弱が激しく、暫くは仕事にのみ従事し外部とのお付き合いや学びの場もお休みするようになって、2019年より少しずつ体重も増えてきて気持ちも落ちついてきました。無理をしないことが大事ですが、月に何度か仕事で徹夜は避けられません。自然と向き合う仕事は好きなので、このまま体が続く限りは心身と向き合いながら楽しく取り組みたいと思っています。当分は、作業に集中することのみ進めていこうと思っています。 |
2019年12月 昨年の豪雨被害から1年半、一昨年の寒波で傷んで枯れた木も10本以上、豪雨で流された木もあり、収量も例年の三分の一ほど。体力的にはいつもの年よりずいぶん余裕を持って楽しみも持ちながら出来ました。
年齢的にも、このくらいの規模で暫く何とかやっていけるかなと感じています。
未来に向けて、山を整備しながら植樹をしていき、大地を守ってくれる杜作りを進めていこうと思っています。人々の心や体を癒す杜。。。人が集い、自然を大切にすることを学ぶ事が出来る場造りを。。。 |
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2020年3月 栽培量は、災害や気候変動による寒波・干ばつの影響で木の本数が激減してしまいましたが、自然栽培に取り組むメンバーさんが増えてきたことで、生口島自然栽培歴16年以上の圃場の柑橘を(11年)13年以上の圃場(5年)、因島田熊町(7年)自然栽培に挑戦したいという相談を受けた人たちの柑橘や農産物を取り扱っています。
定年されてから県外からUターンで自然栽培を始められた70代のご夫婦もいらっしゃいます。
また、生口島では70代のご夫婦が耕作放棄園の開拓に挑戦されています。皆さん、農薬を使わないことで生き生きと楽しく栽培されています。こうした輪が広がっていき、耕作されていない農地が有効活用されるようになればと願っています。
当農園でも、週末農業を体験したい人の受け入れが出来るよう、空き家となっている実家を活用してもらえるようになればと2021年より改装工事を始めました。祖父が作った庭、父が建てた母屋、みかん小屋があります。
改装工事の土壁塗りや剪定作業をDIYしながら、自宅の裏庭の整備(水脈・通気改善対策)等取り組んでいます。
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